I'm Chris.

Wぴーち

毎月恒例

人間だれしもきっかけというものを持っているはずです。

今の仕事をしているきっかけ、だれだれを好きになったきっかけ、趣味を始めるようになったきっかけ。

 

とうぜん、僕にもあります。

 

近藤マイク誠という方を紹介させてください

 

簡単に経歴をまとめます。

1971年、東京生まれ。米国のホテルで無給の皿洗いからホテルマン人生をスタート。
28歳で、世界に750ものホテルを運営するスターウッドの次長に就任。最年少・最高得点でシックスシグマのブラックベルトを取得し、30歳で部長、米国ホテル業界でスピード出世をし続けた後、凱旋帰国し、宮崎のシーガイアに営業本部長として再建に奔走した。
 感性とロジカルな思考能力の双方に長けたホテリエ。サービスをしても、現場のマネジャーをしても、マーケティングをしても、セールスをしても彼はすべてにおいて能力を発揮。
大和魂が込められたホテル、西洋のモノマネじゃない日本人の心が込められたホテルをつくる。それも自分ブランドのホテルを!」。
夢に向かって奔走した32歳、志半ばで夭折した伝説のホテリエ。

 

という感じです

 

僕はいま、都内のレストランにいますが、前職はホテルに居ました。

この世界へ引きずり込む決定打を与えてくれたの、この近藤マイク誠なのです。

 

この近藤マイク誠という人物をもっと多くの人に知ってもらいたい

そんな想いも僕にはあります。

 

32歳という若さでお亡くなりになっているので

実際お会いすることは叶いませんでしたが、彼の思考が残されている書籍は

とことん読み漁りました。

 

テレビ番組で特集された『ガイアの夜明け』だけがみれないのが残念です。

 

彼の意志を引き継ぎ、日本のホテル文化を担う未来のホテリエを育成するために「近藤マイク誠基金」が2006 年に設立されています。

 

「近藤マイク誠賞」を実施され、ホテルビジネスをとりまくテーマの作文を募集し、面接を経て大賞受賞者にはオーストラリアのホテルマネジメント学校のICHMにて3 カ月の留学と3 カ月の諸外国でのインターンシップもしくは短期海外視察および研修が用意されているのです。

 

こんなチャンス滅多にないでしょう

いつの年の応募数かわすれましたが、確か25名ほどです。

 

先日、マイク氏のお墓参りに行ってきました。

今年の4月から毎月行っているので3回目の訪問となります。

 

お墓に手を合わせ、掃除をしてお花を供えます。

その作業をしていると、いろんなことを想像してしまいます。

 

マイクさんは、どんな人でどんな雰囲気でどんなホテルマンでどんな声をしていて...ときりがなくなりますね。

 

そして勝手に近況報告をするのです。

言葉にすると(実際にはしていませんが)、頭の中が整理され

またやるべきことが新たになるので定期的にこういう機会を設けるのも悪くないですね。

 

履歴書①

幸せな恵まれた家庭に生まれました

両親祖父母兄ぼく

 

一般的な家庭ですね。

生活の方も学校終わりに塾に行って、

放課後は友達とサイレンが鳴るまで遊んで、22:30頃に寝る

小さいころからスポーツをしていたのですが

すべて兄の影響です

 

幼稚園児の頃から水泳

小学校にあがると地元の少年団で野球です

 

まぁ、そこに住む子供たちなら誰でも進むコース

 

当たり前だったんですよね。

 

そんな僕は、人見知りでへたれな少年

 

野球の初練習の日なんて

6年生に最初の体操で「声出せ!」って言われて泣きましたからね

 

とにかく人目を気にする少年でした。

そして、とにかく喋らない。仲良しな人とは喋っていました。

仲良くないことは初対面な人とは一切口を交わすことはなかったです。

家庭教師がいましたが90分のうち「こんにちは。」と挨拶を交わした後は一切の会話は続かない。なんでかって余計なことは口にしたくなかったんですよね。これ言って大丈夫なのかな?とかそんなことを考えていると話すことなんてないんです。

 

だから

他の子供達と比べたら繊細な子供に育ちました

 

空気を読む子供って感じです

 

(それ言うたら空気悪くなるよ)

 

とか

 

(あいつ今なんか喋りそう)

 

とかね

 

雰囲気とか空気とか場の変化ですぐに分かるんです

 まあその辺は不幸中の幸いか、いまの生活の支えになってくれていることは確かです。

 

 

 

所属した野球チームは、僕からしたら怖い人たちばかり、、

兄がいたから入団できたところがありました。

 

でも、一年そこらで練習に行かなくなってしまうんですよね

同時に学校にも行かなくなります(いわゆる不登校というやつです)

 

理由も今考えればバカバカしいことなんですが、最初はただの風邪だったんです

3~4日も寝れば治るような、ね。ただ僕は寝っからの人見知りというか恥ずかしがり屋というか変わり者というか、、

 

久しぶりに学校へ行った時に友達から迎えられる“あれ”が嫌だったんですよ

 

わかりますか?(笑)

「久しぶり~!」「風邪治ったの?」とか学校の至る所とか教室の入り口で起こるこれが。

 

(あ~、これ本当に嫌だからもう一日休もう)

 

といった具合で最終的に一か月ほど学校を休みます。

周りには本当に迷惑心配をかけたと思います。

カウンセリングも受けた記憶があります。

 

なにがきっかけで再び学校に行くようになったかは全く覚えていませんが、行っていてよかったです

 

野球もやめ無所属になった僕ですが、学校内ではスポーツができるほうでした

校内マラソン大会では、5年生の2位を除いて全大会一位でした。徒競走でも右に出る者はいない。市内の陸上大会でも決勝に残るタイプの人間だったのです。

 

そんな感じで6年生まで進んだ時に友達から

バレーボールチームに勧誘されます。

断る理由もないので入団を即決しました

練習がとにかく嫌いでしたね

とにかく外野(コーチ陣)がうるさい、あとスイッチが切り替わるやつらも大嫌いでした。普段そんな奴と違うのに練習になると急に性格変わりだす人

 

僕も人の事言える立場ではないですけど、とにかく嫌いでした。

 

こんな感じで小学校を終えます。

 

 

 

僕たちが通った中学校は、いくつもの小学校から生徒が集まってくるような学校ではありませんでした。だから、メンバーも全く変わりません。

 

部活動への入部は絶対で野球部、バレーボール部、テニス部の3つの中から選ばなければいけなかったのです。理由は割愛しますが、みえない力が働いたため野球部へ入団します。

 

中学校は本当につらかったですね。

 

なんであんなに毎日怒鳴られていたのかわかりません。

部活でも学校生活でも休める時間はなかったような気がします

いま思えば、よい子すぎただけなのかもしれないです。

 

先生からダメと言われたら理由も考えずに素直に従う

先生が言ってるんだから仕方ないよねと反発もしない

 

そんな感じですよ

 

部活の方といえば、朝6時からの練習。放課後の練習

体力的な疲労に加え、精神面の疲労も大きかった。

先輩といる空間が顧問といる空間がしんどかったんですよね。

練習に少しでも遅れてきたら怒られる。

練習準備の手際が悪いと怒られる

声を出さないと怒られる

 

無駄な声を出すことの意味が分からなかった僕は声について高校でも大学でも「声だせ!」って言われ続けることになります

 

はよ引退せぇ!ってマジで思ってました。

 

天気予報のチェックは当たり前、顧問の出張確認も当たり前

一日出張で顔を出さない日なんてガッツポーズです。

雨になって怒鳴られる回数が減ると思うとガッツポーズしてたんです。

 

僕たちが所属する野球部にはこんなルールがありました

「野球人である前に学生である。学生の本分は勉学にいそしむこと。学生の前に人間である。人間の本分は人間力を磨くこと(徳を積むこと)」

 

なので、宿題を忘れようものなら勉強の方に支障が出るようなら練習に参加ができなくなります。場合によっては一日グラウンドの草むしりなんです。定期テストの成績が極端に悪い生徒も草むしり行きです。今思うと、おかしなルールでした。よく誰も反発しなかったと思う。

 

グラウンド整備もまるで左官屋さんがコンクリートを綺麗にするかのように指示するんです。少しでも凸凹になっていたり、整備できてない箇所があると怒号が飛びます。その度に集合をかけられ説教タイムです。意地悪だったのが、下校時間ぎりぎりにいつも練習を終えるんです。練習でクタクタなのに追い打ちをかけるかのような15分のグラウンド整備です、ずっと走ってやるんですよ(笑)移動は基本駆け足で歩くことは許されません

 

 

夏休みの練習はさらに過酷を極めます。

臨時的な部活の登場です。わかる人にはわかりますよね?夏休みとか大会前にだけ出現する部活の意味を。それで僕は野球部、陸上部、相撲部、駅伝部(冬季)の4つをかけ持つことになるんです。これを3年間続けることになります

 

夏休みのスケジュールはこうです。

7:00~11:00 野球部の練習

11:00~12:30 陸上部の練習

13:30~16:00 相撲部の練習

 

これに加え冬になると駅伝部が出現するんです。

 

まぁ、身体が強くなりますよね。

おかげさまで楽しめるスポーツが増えましたし、ぼくにとっては貴重な経験でした

 

その後の人生に訪れる苦難はなんともないほどに、強く育てられました

 この頃の苦労というのはやっぱり記憶に残って、身体に染み付いているんですね

 練習はうそをつかない

人間力を磨け

毎日のように徳を積め

リスペクトを忘れてはいけない

目上の人を敬わなくてはいけない

グラウンドのゴミを拾え

当たり前のことなんてない

 

そんなことを叩き込まれながら小中学校時代を過ごしました

北の国から帰還

久しぶりの投稿です。

 

この4月に東京返ってきて思った。東京の家賃は高いよ。。

3年前まで神奈川に住んでたから把握してたとは言え、、ね。

 

1Kで月々6.2万~6.8万~7.2万~9.2万+管理費(共益費)

敷金礼金保険金および初期費用(家具、家電、日用品)を含めたらなかなかの金額になる。

 

東京で生活しているみんなはどこに潜んでいるんだ?

 

東京で僕が考える理想の暮らしをしようと思ったら収入の柱が一本では足りない。

この2年は家賃ゼロで生活してきた僕に東京でまず立ちはだかったのが家賃というカベ

 

という話はさておき、2年半ぶりに東京に帰ってきました。

この2年半は西へ東へ北へと奔走してきた期間でした。

来週からの生活に備えて一旦整理します。

 

2016年 エンジニア

2017年 外資系ホテル

2018年 港区レストラン勤務

 

今年25歳になる僕の経歴をまとめるとざっとこんな感じです。

 

夢なんて抱かない、なんとなく過ごしていた男がなんとなく就職し、週末にイオンに行くような生活でなんとなく人生を終えるはずだったのに港区のレストランからスカウトされるまでの道のりを赤裸々に残していきたいと思います。

 

学生編(小中高大)

社会人編(2016~2018)

 

①~③くらいを目途に

覚えている限り書いていきます。

年間6000万人の可能性

多くの謎が解決した!!
新たな疑問が生まれた!!

日本の実力は
まだまだこんなものじゃない

さてさて…これからは
実際に現地で仮説と検証の繰り返し

ぶちあげていこう‼️

世界一訪れたい日本のつくりかた

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『5 パーセントの奇跡~嘘から始まる素敵な人生~』2018.1/13(土)公開

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格安ホテルとは

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>‪連泊ができるところでも荷物を置くスペースが限られている。荷物置き場として共有スペースもあるが、盗難の危険も大きい。荷物も多い長期滞在には不向きだ。‬
> プライベート空間が保たれて、格安で宿泊できるのは、山谷の簡易宿泊所という選択肢しか残っていません
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10泊しても2万円!東京「1泊1980円ホテル」に行ってみた | ニュース3面鏡 | ダイヤモンド・オンライン

船ね

ホテルのような豪華さ快適さなんて
目標にしなくていい求めなくていい
なんで〇〇みたいにってしちゃうの

客船の持ち味を生かしてほしい
船の上でしかできない 海の上でしかできない

当たり前のような感覚になってるけど
海の上で宿泊することができる
海の上でご飯やショーを観たり
海の上で買い物をしたり談笑したり

普通じゃありえない経験だから
陸の上でできますか!って

さらなる価値を見出して
どんどん高めていけばいいと思う

本日より3日間を船の上で過ごします
『船の上のピアニスト』みたいでわくわくしてる

なんでわざわざ一つしかない部屋を押さえたか
なんでわざわざ空路ではなく海路を選んだか

ゆっくりしてる場合ではない

より快適に豪華に~変わるフェリー① 2017年7月8日放送 - YouTube