幸せな恵まれた家庭に生まれました
両親祖父母兄ぼく
一般的な家庭ですね。
生活の方も学校終わりに塾に行って、
放課後は友達とサイレンが鳴るまで遊んで、22:30頃に寝る
小さいころからスポーツをしていたのですが
すべて兄の影響です
幼稚園児の頃から水泳
小学校にあがると地元の少年団で野球です
まぁ、そこに住む子供たちなら誰でも進むコース
当たり前だったんですよね。
そんな僕は、人見知りでへたれな少年
野球の初練習の日なんて
6年生に最初の体操で「声出せ!」って言われて泣きましたからね
とにかく人目を気にする少年でした。
そして、とにかく喋らない。仲良しな人とは喋っていました。
仲良くないことは初対面な人とは一切口を交わすことはなかったです。
家庭教師がいましたが90分のうち「こんにちは。」と挨拶を交わした後は一切の会話は続かない。なんでかって余計なことは口にしたくなかったんですよね。これ言って大丈夫なのかな?とかそんなことを考えていると話すことなんてないんです。
だから
他の子供達と比べたら繊細な子供に育ちました
空気を読む子供って感じです
(それ言うたら空気悪くなるよ)
とか
(あいつ今なんか喋りそう)
とかね
雰囲気とか空気とか場の変化ですぐに分かるんです
まあその辺は不幸中の幸いか、いまの生活の支えになってくれていることは確かです。
所属した野球チームは、僕からしたら怖い人たちばかり、、
兄がいたから入団できたところがありました。
でも、一年そこらで練習に行かなくなってしまうんですよね
同時に学校にも行かなくなります(いわゆる不登校というやつです)
理由も今考えればバカバカしいことなんですが、最初はただの風邪だったんです
3~4日も寝れば治るような、ね。ただ僕は寝っからの人見知りというか恥ずかしがり屋というか変わり者というか、、
久しぶりに学校へ行った時に友達から迎えられる“あれ”が嫌だったんですよ
わかりますか?(笑)
「久しぶり~!」「風邪治ったの?」とか学校の至る所とか教室の入り口で起こるこれが。
(あ~、これ本当に嫌だからもう一日休もう)
といった具合で最終的に一か月ほど学校を休みます。
周りには本当に迷惑心配をかけたと思います。
カウンセリングも受けた記憶があります。
なにがきっかけで再び学校に行くようになったかは全く覚えていませんが、行っていてよかったです
野球もやめ無所属になった僕ですが、学校内ではスポーツができるほうでした
校内マラソン大会では、5年生の2位を除いて全大会一位でした。徒競走でも右に出る者はいない。市内の陸上大会でも決勝に残るタイプの人間だったのです。
そんな感じで6年生まで進んだ時に友達から
バレーボールチームに勧誘されます。
断る理由もないので入団を即決しました
練習がとにかく嫌いでしたね
とにかく外野(コーチ陣)がうるさい、あとスイッチが切り替わるやつらも大嫌いでした。普段そんな奴と違うのに練習になると急に性格変わりだす人
僕も人の事言える立場ではないですけど、とにかく嫌いでした。
こんな感じで小学校を終えます。
僕たちが通った中学校は、いくつもの小学校から生徒が集まってくるような学校ではありませんでした。だから、メンバーも全く変わりません。
部活動への入部は絶対で野球部、バレーボール部、テニス部の3つの中から選ばなければいけなかったのです。理由は割愛しますが、みえない力が働いたため野球部へ入団します。
中学校は本当につらかったですね。
なんであんなに毎日怒鳴られていたのかわかりません。
部活でも学校生活でも休める時間はなかったような気がします
いま思えば、よい子すぎただけなのかもしれないです。
先生からダメと言われたら理由も考えずに素直に従う
先生が言ってるんだから仕方ないよねと反発もしない
そんな感じですよ
部活の方といえば、朝6時からの練習。放課後の練習
体力的な疲労に加え、精神面の疲労も大きかった。
先輩といる空間が顧問といる空間がしんどかったんですよね。
練習に少しでも遅れてきたら怒られる。
練習準備の手際が悪いと怒られる
声を出さないと怒られる
無駄な声を出すことの意味が分からなかった僕は声について高校でも大学でも「声だせ!」って言われ続けることになります
はよ引退せぇ!ってマジで思ってました。
天気予報のチェックは当たり前、顧問の出張確認も当たり前
一日出張で顔を出さない日なんてガッツポーズです。
雨になって怒鳴られる回数が減ると思うとガッツポーズしてたんです。
僕たちが所属する野球部にはこんなルールがありました
「野球人である前に学生である。学生の本分は勉学にいそしむこと。学生の前に人間である。人間の本分は人間力を磨くこと(徳を積むこと)」
なので、宿題を忘れようものなら勉強の方に支障が出るようなら練習に参加ができなくなります。場合によっては一日グラウンドの草むしりなんです。定期テストの成績が極端に悪い生徒も草むしり行きです。今思うと、おかしなルールでした。よく誰も反発しなかったと思う。
グラウンド整備もまるで左官屋さんがコンクリートを綺麗にするかのように指示するんです。少しでも凸凹になっていたり、整備できてない箇所があると怒号が飛びます。その度に集合をかけられ説教タイムです。意地悪だったのが、下校時間ぎりぎりにいつも練習を終えるんです。練習でクタクタなのに追い打ちをかけるかのような15分のグラウンド整備です、ずっと走ってやるんですよ(笑)移動は基本駆け足で歩くことは許されません
夏休みの練習はさらに過酷を極めます。
臨時的な部活の登場です。わかる人にはわかりますよね?夏休みとか大会前にだけ出現する部活の意味を。それで僕は野球部、陸上部、相撲部、駅伝部(冬季)の4つをかけ持つことになるんです。これを3年間続けることになります
夏休みのスケジュールはこうです。
7:00~11:00 野球部の練習
11:00~12:30 陸上部の練習
13:30~16:00 相撲部の練習
これに加え冬になると駅伝部が出現するんです。
まぁ、身体が強くなりますよね。
おかげさまで楽しめるスポーツが増えましたし、ぼくにとっては貴重な経験でした
その後の人生に訪れる苦難はなんともないほどに、強く育てられました
この頃の苦労というのはやっぱり記憶に残って、身体に染み付いているんですね
練習はうそをつかない
人間力を磨け
毎日のように徳を積め
リスペクトを忘れてはいけない
目上の人を敬わなくてはいけない
グラウンドのゴミを拾え
当たり前のことなんてない
そんなことを叩き込まれながら小中学校時代を過ごしました